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地球・絵手紙ネットグループ 木下 誠

<第1話 子供の頃の挫折、繰り返さないように>

 絵手紙教室の皆さんと、いろいろな雑談をするのが楽しみです。20歳代から80歳代、95歳の方もいます。幅広い年代とそれぞれ異なった人生経験をもたれる皆さんのお話は、とてもよい勉強になります。
 絵手紙を始めて間もない方々から「絵手紙って、こんなに楽しいとは知りませんでした。実は、今まで絵を描く事に拒絶反応があったので・・・」というお話をたくさんお聞きしました。少なくとも日本では、絵を描いたことが無い人はいないと思っていました。幼稚園・小学校・中学で描いたでしょう?」でも、お話をよく聞いて理解できたことは、私にとって大変ショッキングな原因でした。ほとんどの皆さんの絵に対する拒絶反応は、学校時代に絵を教えていた教師が原因だった。ということです。
 「おまえはいつまで下手な絵を描いているんだ!」「なんだ、その変な絵は!」「水彩は何回も色を重ねるんじゃない!何回言ったらわかるんだ!」などなど、教師の不用意な一言が、無心な子供のこころに「もう一生、絵なんか描くもんか!」という反発・拒絶の心理を植え込んでしまったようです。
 私といえば、小学校・中学校と絵については、いつも褒められていました。ですから、大学の時も社会人になっても、時々気が向けば、スケッチやクロッキーなど描いて自己満足していました。「褒められた」から絵を描く気持ちが失われず、持続してきたのかも知れません。褒められて、嫌な人はいません!
 ところで、絵について挫折を味わった皆さんが、最近とても感慨深いお話をしてくれます。「大人になって、子育てが終わり、自由な時間が持てるようになり、さて、このまま人生終わるには、何か虚しい。」と思った時、幼年回帰というのか、郷愁というのか、絵を描きたい本能的衝動が起こって来たのではないでしょうか。と。事実、こんなお話をしていただいた皆さんの描く絵手紙。とても素直で、邪心がなく、白紙の感覚で、ご自分のこころを表現した絵手紙を描いています。
 私の勉強したこと。「良いところを発見して、褒めること。」

<第2話 基本は鉛筆で>

 「絵手紙を描く時、基本は鉛筆で下書を」と説明しています。他所の絵手紙教室では、最初から毛筆で描かせているところもあります。絵手紙の描き方に絶対というものはありませんから、そんな方法でもよいと思います。木下流も絶対ではありませんから、ただ参考にしていただければよいと思います。
 私の絵手紙は、画家や書家というプロでなければ描けないものでなく、一般の人誰でも描ける「手紙」を目指していますから、誰でも戸惑いなくできる鉛筆を、最初に持つ事を勧めています。ですから、絵手紙を始めようと思った時、絵の道具を一式揃えてからと思うよりも、先ず、「鉛筆を持って、手を動かすことだと」と勧めます。
 鉛筆と紙(ポストカード)さえあれば、絵手紙を描く行為は始められると思っています。私の絵手紙は、鉛筆から始まりました。最初の頃はほとんど風景の絵手紙でしたから、一本の4Bとスケッチブックか葉書を持って、自然の中でスケッチをしました。時間があれば彩色もしましたが、家に帰ってから色を淡くつけて絵手紙にしました。
 最近になって、鉛筆以外の筆記用具を使うようになりました。毛筆・ボールペン・割箸・マッチ棒などなど。そして特にダーマートを皆さんにお勧めしています。「紙は神」という言葉の通り、紙は不思議なものですが、筆記用具もそれぞれ不思議な特色を備えています。絵手紙が趣味となって楽しめるようになったら、いろいろな筆記用具を使ってあなたの味をだしてください。
 ところで、「鉛筆」の話です。絵手紙は、何処でも、何時でも、身近なものを手軽に描くという気楽さが、何よりもよい趣味と思いますが、そのためにも手頃なものは鉛筆です。散歩の時に、旅行の時に、ポケットに鉛筆とポストカードを!そして一枚の絵、一本の鉛筆から、上手い下手に関係なく、一つの新しい世界(絵)が創り出される不思議を味わってもらいたいものです。

<第3話 視点を変えて見る>

 「私たちが、絵手紙を描くときは、一般的に机の上で描いたり書いたりします。その姿勢は、上から下を見ています。完成した絵手紙も下に置いてみます。そして、「ああ、失敗した」とか「思ったより上手く描けた」とか、 一喜一憂するのが常です。でも、あまり自分の眼を信用してはいけないようです。主観的と客観的との違いもあります。実際に、自分では駄目と思っても、周りの人たちが、「面白い。楽しい。味がある」と、評価してくれることが多くあります。
 また、人間はいつも同じ精神状態ではいられません。疲れている時、神経過敏な時、病気の時などは、普段の時と違った物の見方をします。そんな時は、絵手紙が描けませんし、休息にこしたことはありません。
 ところで、自分の絵手紙を正当に評価して、更に勉強するにはどうしたらよいのでしょうか?「視点を変えて見る」ことが良いと思いました。「絵手紙教室では、皆さんが持ってきた絵手紙を、ボードに貼って皆で拝見します。その時の視点は、上から下ではなく、眼の高さで正面から見ます。横から見るといってもよいでしょう。まだ、いろいろな視点があります。斜めから見たり、逆さにして見たり、鏡に映して見たりして、良いところを見つけたり、気にいらない点を発見したりするのも絵手紙の勉強方法だと思います。
 もう一つの勉強方法は、「他人の眼にさらすこと」だと思います。もともと絵手紙は、手紙ですから、自分だけでしまっておくものでなく、他人に郵送するもの。受け取った人が、喜んだり感動したりして、評価?してくれます。喜んでもらえれば、自信になります。
 また、絵手紙展も「他人の眼にさらす」よい機会です。一般の絵画と根本的に異なる点は、「信書」である点です。従って展示には細心の注意が必要ですが、展示することにより、親切な言葉をかけてくれる人、あるいは冷たい態度を示す人もいます。自惚れず、ガッカリせず、人の評価に耐えて、更に自分流の絵手紙を創り出してゆくことです。
「額縁」の効果もまた、自分の絵手紙を見直すことを教えてくれます。額縁に入れて見ると、「自分のもの?」かと、違って見えてくるから不思議です。額縁は、絵手紙と外界とを仕切る壁の役割をしてくれます。雑多な物事と切り離して、自分の趣味という世界を純粋に見せてくれる、自由な空間です。自分の絵手紙を額縁に入れて、自己満足しながら眺めることも、精神衛生上、なによりの「脳内革命」になりましょう。

<第4話 「思いやり」こそが絵手紙の心>

 新しい年おめでとうございます。皆様のご健康とご多幸をお祈り致します。

 今の世の中、不況の風が吹き荒れていますが、逆に絵手紙は景気よく盛んになっています。世の中が暗いからこそ、何か明るさを求め、心の豊かさを求めて「絵手紙」に魅れるのかもしれません。そんな期待に応えて、日常生活の中で絵手紙を生かしましょう。
 「絵手紙は技法よりも心を大切にします。」ということを、今一度思い起こしてみましょう。絵手紙を出すあの人に、そして絵手紙を描く素材(モチーフ)に、愛情・友情を持つことです。言葉を替えて言えば、絵手紙をするあなたに、あらゆる「もの」に対して「思いやり」の心があるか無いかです。絵手紙は、つまるところ自分自身を赤裸々に語るものです。誤魔化しはできません。
 新しい年、1999年。どうぞ「思いやり」の心で絵手紙をしましょう。私は今年、自然環境保護のために、一年草である「ケナフ」を材料とした紙の普及に共鳴して、ケナフ紙の絵手紙に取り組むこととしました。小さくとも、地球環境に対する私の「思いやり」と考えています。

<第5話 日本アルプスのような展開を>

 私の故郷は信州松本です。生まれてから20年間故郷で生活しました。今でも強く印象に残るのは、春夏秋冬の朝夕に眺めて飽きない北アルプスの山々の姿です。東から西へ乗鞍・穂高・蝶ヶ岳・槍ヶ岳・常念岳・大天井・燕・鹿島槍・白馬岳などの山々が連なっています。どの山が好きかと言われても困りますが、強いて言えば常念岳です。両手を合わせて常に念じる姿。母親の教訓と重ね合わせて思い出すからでしょうか。でもアルプスは一つの山では成り立ちません。たくさんの山々が存在して山脈となっています。どの山も個性があり、容姿があり毅然としています。私はその山脈が一番好きです。
 私たち地球・絵手紙ネットグループは、日本アルプスのような絵手紙の展開を目指しています。富士山という山だけが山ではありません。まして、富士山と同じ山がたくさん出来ても魅力は持てません。絵手紙も同じように同じ絵手紙がたくさん並んでいると飽き飽きします。私たちの協会に属する「講師」は日本アルプスの山々のように十人十色の特色を持つよう努めています。個性や容姿は異なっても、山脈としての筋の通った連帯があります。また、会員の皆さんには、自分の好みに合った山に登り、そしてやがて自分の山をつくり、新しい山の名前をつけてくれることを期待しています。

<第6話 遊び心と絵手紙>

 「絵手紙」は文と絵によって、その人の「心」を、相手に伝えます。楽しいことだけでなく、喜怒哀楽すべてが伝わります。そこがいいのです。私たちは生きている人間ですから、いろいろな側面を持っています。聖人君子なんておりません。だから絵手紙は飾らなくてもいいんです。人と人とを緊密にむすびつける役割をはたしてくれる贈り物、それが「絵手紙」。その時々の自分を相手にいきいきと伝えることが出来れば、心の交流が豊かになることでしょう。
 ところで、絵手紙教室で描く絵手紙は、いつもいつも「真面目な」絵手紙になってしまう、どうしたらよいか?と質問されることがあります。それは真面目な雰囲気の教室で、真面目な気持ちで絵手紙を描いていたのでしょう。それはそれで、あなたの真面目な心のこもった絵手紙です。でも、それだけでは何か物足りないと思ったら、「真面目と遊びの中間くらいの気持ちで描くといいですね。」と私は答えます。一口に「遊び心」と言っても難しいけれども、まず、描く素材を、例えば河童・狸・蛙など面白いものを選んで、できれば墨と毛筆を使って、形はそっくりでなく楽しんで描くことです。時には遊びも必要です。真面目も結構。でも人間らしく遊びも絵手紙に!

<第7話 紙というものに興味を>

 絵手紙は他の趣味よりも、お金がかからないと喜ばれています。身近にある「はがき」に、身近なものを、手当たり次第に描いて文章を添え、50円切手を貼ってポストに入れるだけ。でも「文房四宝」といわれる墨、硯、筆、紙に凝りだすと限りがありません。絵手紙は道具にこだわらなくとも、自分の心を表現する絵と文章は作成できます。

 ところで、私がいただいたり、見せていただいたりする絵手紙で感じることが一つあります。それは、絵手紙に使う「紙」のことです。はっきり言えば「紙」についての知識が足りない人が多いのではないか、ということです。そういう私自身、最近販売されている「ポストカード」の紙質については、知識が足りません。中性紙・ラグリン紙・ケント紙・再生紙・・・和紙・画仙紙・色紙にも多種多様な紙質があります。「絵手紙のはがき」という紙まで販売されています。
 さて、絵手紙にはどんな「紙」を使えば一番効果的でしょうか?「紙」は「神」と言います。不思議な力を持っている存在です。私の教室では、いろいろなポストカード以外も一通り使用して、絵手紙を描きますが、その都度、新鮮な興味と驚きを味わってもらえます。皆さんも、いろいろな「紙」に興味と好奇心を持って、工夫をしながら描く楽しみを味わってください。

<第8話 こころを表現する三つの基本>

 絵手紙は「手紙」です。誰でも描けます。油絵や水彩画など他の絵手紙と異なり、上手くなくても、その人なりに「こころ」がこもっていれば良いのです。手紙は心を伝えるもの。絵手紙に私の心をどう表現するかといつも考えています。今の私は、三つの基本を大事にして、絵手紙を描いています。
 一つ。絵の下描きの「線」に心が現れる。習慣だけに従った線は引かない。せっかちな線は引かない。ゆっくり、しっかりした線を描く。描く対象により筆記用具を選ぶ。
 二つ。絵の「色彩」に心が現れる。嫌なことがあった時は暗い色彩になる。心がウキウキする嬉しい時は明るい色彩となる。手紙を受け取る人には、喜びを、感動を、励ましを伝えたい。暗い気持ちを与えたくない。「色彩」は明るいほうがよい。だから、絵具はいつも汚さず、綺麗に使いたい。
 三つ。心を表現する決め手は「文章」だ。他の絵画との最大の相違は、絵手紙には文章が不可欠な要素だということ。昔からの手紙も、今の手紙も、文章で私の心を相手に伝える。おざなりの文章では私の心や気持ちが相手に伝わらない。だから、絵手紙教室は絵の勉強だけでなく、文章の勉強の場ともしたい。

<第9話 よく見て感じて>

 絵手紙を描くということは、つまるところ自分のこころ・気持ちを紙の上に表現することに他なりません。「絵手紙は上手くなくとも、ヘタでいい、ヘタでいい」と言いますが、それだけでは言葉が足りません。私も「絵手紙は、技法よりもこころを大切にしています」と言っていますが、これでも言葉足らずです。繰り返して言うようですが、絵手紙を描く基本は、描こうと思うものを「よく見て、感じて」から手を動かして描くことです。漠然と見てすぐ描くと、こころ・気持ちが現れません。例えば、絵手紙を描かない人は、机の上のリンゴをただ単に紅いリンゴとしか眺めません。
 絵手紙をする人はどうでしょうか。よく見ると、ただ紅いだけでなく、いろいろな色彩を持っていること、そして太陽の日差しの中と夜の蛍光燈の光の下では、同じ紅でも微妙に違いがあることに気付くはずです。そうすれば、自分の気持ちが一番伝えられると思う色彩がつけられると思います。更に大切なことは、描こうと思うものから「何かを感じて」描き始めることです。「このリンゴは見事な大きさだなあ!中に蜜のような色合いがあるのかなあ!産地は青森か、長野か!」形でも色でも何でもいい。感じてから描くことです。言葉を変えて言えば「物に愛情を持つこと」「物と対話すること」です。これは、絵手紙の技法だけでなく、絵手紙をする人の気持ち、心がけと思っています。

<第10話 風景の絵手紙>

 「身近なものを、手軽に、短時間で描く」という絵手紙の特色が、この趣味の人気の源です。家庭の中にある生活用品、庭や野山の草花。そして戸外に一歩出れば総て風景。私が毎日受け取る絵手紙もバラエティにとんでいます。でも、風景の絵手紙が少ないのが寂しく思います。もっと日常の生活の中で風景も描いて欲しいものです。
 先日、365日絵手紙展というものを拝見しましたが、月々の作品の中にたくさんの風景が入っていました。風景が入っていることで、365日の流れが表現され、更に風景のところでホッと息が抜け、疲れを感じさせませんでした。
 「風景は難しくて」と敬遠しがちですが、絵手紙は上手くなくともよいのですから、特に難しいことはありません。私の場合、風景の絵手紙は「はがき」という小さな紙に描くわけですから、見えるもの総てをを描かないで、欲張らないで、ポイントを絞って描くようにしています。一本の木でも風景になります。なるべく省略することです。
 筆記用具は何を使っても自由ですが、ダーマートが最適と思っています。濃淡、強弱の線で遠近感が表現できます。彩色はどの方向から光がさしているかを見て、明るいところは明るく、暗いところは暗く彩色します。「手軽に、短時間に」ヘタでいいと割り切って数を描いていれば、風景の絵手紙が楽しく描けるようになります。旅先の風景も是非描いてください。

<第11話 絵手紙の文章(2)>

 こころを表現する決め手は文章だ、と言いますが、絵手紙大好き人間でも、絵はともかく添える文章には頭を悩ませます。自分のこころ、気持ちをどんな言葉で書き表わすか。「ソラマメ」の絵を描いて「これはソラマメです」と説明しても、ただそれだけのこと。絵もまた言葉なのです。だから絵の説明はダブりになります。。風景の絵手紙は説明でも効果的な場合もありますが。絵は感覚で描けますが、文章は感覚だけで書けません。
 最近、私は絵手紙を送る相手の「あの人」と、特定の人を思い浮かべてから、文章(言葉)を考えるようにしています。そうすると文章のポイントが浮かんできます。「あの人」はどうしているかな。元気かな。落ち込んでいるのかな。などなどと。そして、今私は「あの人」に何を語りかけたいのか。描いた絵と関係があってもよし、全然関係なくともよし。今の気持ちにぴったりの言葉を探して、語りかけるような文章を。漠然と、あるいは一般的な文章を考えて書くよりは、これは「あの人」に出す絵手紙にしよう!と決めてから、考えて書くほうが良いと思います。絵手紙も、自分と「あの人」との生き生きとした応答が、根底にあるのですから。

<最終話 勇気を出して人物を描こう>

 プロの画家に比べ、私たち絵手紙好き人間はノンプロ。ですから画家のように上手く描けなくても、自信喪失する必要はありません。人の顔を描くことは一番難しいし、怖いと私は思っています。でも、そう思っているだけでは描くことはできませんから、勇気を出して描きます。
 その勇気とは、絵を描く自分の才能はこれだけと、さらけだして無心に描くことだと思います。「上手く描こう」とか「似ているように」とか、いろいろな雑念が沸いてきますが出来るだけ雑念を振り払って無心に描けば、その人なりの表情豊かな人物が描けるでしょう。幼稚園の子供が、絵を描く技法を知らなくても、素敵なお母さんの顔や人物を描いています。ノンプロはそれでいいのです。
 人物を描く勇気と、もう一つは「数を描く」ことです。私はいつも小さいノートを持って、喫茶店や公園でちょこちょこと人物をスケッチします。「はがき」ではないので絵手紙には使えませんが、数を描けば、自分なりに雰囲気が出たな!と思うものもあります。それを繰り返して、本番、人物の絵手紙を描いてみましょう。

オール関東絵手紙協会 「講師のための手引き書」より抜粋(無断転載を禁じます)

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