| <第1話 絵手紙のある人生> | ![]() |
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| <第2話 趣味が持てて幸せ> | ![]() |
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| <第3話 協会誌「絵てがみの心」創刊20号に想う> | ![]() |
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| <第4話 憧れのモチーフを描く> | ![]() |
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二泊三日の山旅から帰って来ました。山の天気は変わりやすく、一日目は時々山の姿が見えましたが、後の日はほとんど雨か霧でした。白馬岳を中心に山々が連なる北アルプス後立山連峰や高山植物を描きたい、そんな欲求につられて出かけた旅でした。
帰宅した私のリックの中には、「はがき」に描いた二十九枚の絵が入っていました。一日目に栂池高原から描いた小蓮華岳・白馬岳・杓子岳・白馬鑓ケ岳・唐松岳・五竜岳・鹿島槍岳の山々。二日目、雨飾山麓の小谷温泉で描いた岩山の露天風呂など。そして三日目、雨の切れ目に描いた五竜アルプス山野草園の高山植物、コマクサ・タムラソウ・オヤマリンドウ・ワレモコウなどの花々。
初秋の山の天気は仕方がないとして、私には至極満足の旅でした。また、描いてきた絵手紙の中には、他人から見たらどうでもいいようなものでも「自分なりに気に入ったいい絵だ」と思うものもあります。ちょっと恥ずかしい気持ちもありますが、自分で自分の絵に惚れることも必要なことです。
絵手紙を始めて二十五年。目に付いたものを手当り次第モチーフにして描いてきましたが、最近になって、「これ描いてください」と言われて、どうしても気が向かない時があります。義務的とか仕方なくとかの気持では描けなくなりました。私の絵手紙に描くモチーフの中で一番好きなのは『山の風景』ではないかと感じています。
絵は『憧れ』を描くものと言われています。わあ、いいな、と感じる風景。美味しそうな果物。楽しそうな人物。そこには私たちの憧れや夢があふれています。感動したら何でも描く。それはそれでよいのですが、自分を飽きさせない生涯のモチーフとして何かを選んで持つことをお勧めします。結局、夢中になって描いたものが人の感動を呼び起こすのだと思います。 |
| <第5話 ただただ返す返す、初心を忘れるべからず> | ![]() |
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「万物流転」 すべてのものは変化発展すると、ギリシャの哲学者は言いました。実は、「絵手紙」というものも時代と共に変化発展するのです。
ただ、変化発展はするけれど、絵手紙の初心を忘れてはいけないと思っています。
正直に白状しますと、私の絵手紙活動の基本となる理念は、六百年前に書かれた『風姿花伝』という書物(能楽を大成した世阿弥が父観阿弥から教え諭されたことをまとめた文章)に影響されているということです。 |
| <第6話 新たな旅の前に> | ![]() |
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![]() 絵手紙を始めていつのまにか25年の歳月が流れました。「心を伝える絵手紙」を目標に描き続けてきましたが、昨年11月に横浜・そごうで開催した個展「ありがとう絵手紙展−木下誠25年目の絵手紙展」で多くの皆さんから「心が和らぐ」「静かな安らぎを感じる」「自然に対する謙虚さが伝わってくる」とか、どの絵手紙を見ても「優しさ」を受けとることができるなどの感想をいただくことができました。
又、絵に添えられた文章(言葉)に感動したという感想もいただきました。お世辞でもあるでしょうが、素直に受けとらせていただき、「心伝える絵手紙」が伝わったのかなとうれしい限りです。
なお、出版社からはそれぞれの絵手紙についての解説文をとの要請がありましたが、絵手紙は他の絵画とは異なり、手紙ですから、必ず文章が記入してあるのでコメントはいらないと思いました。
このささやかな作品集が参考になり、絵手紙の中に風景絵手紙が増えていくことになれば、こんなにうれしいことはありません。私にとって一つの旅が終って、ここからまた新たな絵手紙の旅が始まるのだと思っています。 |
| <第7話 人間の姿が見える絵手紙> | ![]() |
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「絵」は十人十色でそれぞれ楽しませてもらっています。でも、「絵」だけでは正確にその人の気持は伝わってきません。やはり絵手紙は、「文章」が命なのだ!と思います。 「心伝える絵手紙」は、添えられた文章を読むと、その絵手紙の向こうに、人の姿が見えてくるように感じることができます。そのためには、「誰に、この手紙を出すか」。相手を特定して、文章を考えることです。文章を考えている数分間は、相手のことが自分の心の中にあります。それが「心を込めた」文章となり、生き物となつて相手の心に届くのです。
時には、〇〇さんと呼びかけることも、他の誰でもない、この自分に来たものだとの思いを強くするものです。
「文体」も考えましょう。例えば私宛の文章に「今日も楽しい一日が始まる」と書いてあることがありましたが、「始まります」と書いてもらえれば、私はニコニコします。 |
| <第8話 学ぶことは、楽しく嬉しいこと> | ![]() |
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近頃、いちばん嬉しいことは 『学ぶことは、楽しく嬉しいこと』 の発見です。
それは、昨年の絵手紙研究会から始めたことですが、従来は私一人が講師をしていましたが、私に代わり特別講師の皆さんに割り振って講師を勤めてもらうことにしました。内容と講師は会長の私が指定しました。必ずしもその人の得手でない絵手紙の描き方であっても、皆さんとても熱心に改めて勉強されて講師の任務を果たしました。受講者の皆さんも素直に受け入れて学んでくれたようです。
このような「教えることは学ぶこと」を実行された、研究会講師の皆さんの反響はとても大きく、私のところまで 「とても勉強になった」など、いろいろな形で伝わってきました。このところ、そのことがとても楽しく嬉しく、私の心を満たしています。
私の座右の銘は「謙虚さ」です。謙虚さの奥には自信も必要です。自信は実力に裏打ちされて本物になると思います。何歳になっても「教えることは学ぶこと」は大事なことと、改めて学びました。 |
| <第9話 建前でなく、すべて本音です> | ![]() |
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ふるさとの家から歩いて二十分の所に、「松本民芸館」があります。松本市の生んだ民芸研究家丸山太郎が、生涯をかけて収集した数々の収蔵品が展示されています。木々に囲まれ落着いた環境の中で、確かな美しい民芸品を充分に味わうことができます。 目に止まったのは、丸山太郎が折々に「はがき」に描いた絵と文章の作品です。今で言うと絵手紙です。今から六十年程前に描かれたものなのでしょうか。二十枚程度の作品を拝見して感動を覚えました。例えば、どこかの国の壷を毛筆で形を措き、青と赤だけの彩色、添えた文章は「ありのままに生きたし」です。 なんのてらいもなく、素朴というのか無欲なのか、私の絵手紙の反省にもなりました。
ところで、私は考えや実際の講評を、建前と本音の区別はしていません。「どんな絵手紙でも、必ず良い箇所があります。それを発見して誉めましょう。」と私が主張するのは、建前ではありません。本音だからです。
松本民芸館の 『丸山太郎の絵』を見ながら、「やはり絵手紙の絵は、プロの画家が描く上手い絵ではなく、普通の人間がありのままの素直な心で描いた絵がいちばんいいな」と感動したことを思い起こしています。 |
| <10話 何を描いて残しますか> | ![]() |
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パッションを感じたら描く。絵手紙の絵を描く時の前提です。人それぞれ好みが違うから、何を描くのも自由です。他の絵画のように展覧会に出展して、入選を目指す意図はないのだから、肩のカを抜いて自由奔放に描けることは幸せです。 そして、絵手紙は切手を貼ってポストに投函すれば、郵便局が宛名に配達して、その後の所有権は私には自分ではなくなります。世界に一枚しかないこの手書きの絵手紙。後の世まで残るかも知れませんね。そんなことを想像すると、絵手紙はロマンです。人と人の心を結んだ手紙として語られますよ。楽しい夢ですね。
ところで、「よくまあ、毎年春夏秋冬同じモチーフを描き続けていますね。飽きませんか」と言われます。多分一年一年、私自身が変化しているから飽きないのだろうと思います。変化は成長ですから。
さて、新しい年。
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| <11話 「井の中の蛙」にならないように> | ![]() |
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終わってみるとこの冬は、長期予報に反して特別寒い、そして豪雪の気候でした。 過ぎてしまえば、辛いことも思い出になってしまいますが、雪国の皆さんよく頑張りましたね。春、萌え出でる季節を迎え、お元気で絵手紙に取り組んでおられますか。 私も、家族全員で過ごした新潟・小千谷の豪雪。そして雪の下から現れた黒い土と水仙やチューリップの緑、その感動を忘れることができません。これからも、一日に一つでもよいから感動を忘れないように生活してゆきたいと思います。
ところで、最近ちょっと気にかかることがあります。それは「井の中の蛙、大海を知らず」の例えのような事例を見たり聞いたりして思う気持です。辞書を引くと「他に広い世界があることを知らずに、自分のまわりの狭い範囲だけで、ものを考えていることのたとえ」とあります。
これからも努めて広い視野が持てるように、機会があれば積極的に出席し、広く交流をはかり、自分を肥やしていきましょう。絵手紙にも毎日の生活にも良い影響が必ず出てくると思います。 |
| <第12話 手はいつも心と直接に> | ![]() |
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最近、絵手紙の世界に新しい部門が出てきました。それは、パソコン絵手紙と写真絵手紙と称する絵手紙です。私たちが描いている絵手紙との違いは、手描きではなく、パソコンや写真、印刷などの機械を使って作られることです。たいへん緻密な絵柄も描かれ色彩も色鮮やか、そして文章の文字指定も自由で、なかなか上手な絵手紙だと思いました。新しい部門の絵手紙が出現したことにより、「手描き、手作りの絵手紙」が一段と貴重であり、大事にしなければと痛感します。
もともと手が機械と違う点は、手は何時でも直接心とつながれているものだ、ということです。絵手紙を描くときに、手はただ動くのではなく、いつも奥に心がひかえているので、絵を描かせたり喜びを与えてくれたりします。「絵手紙は技法よりも心が優先します」と、私は力説してきました。「上手い、下手は二の次」「下手でもかまわない」とも言っています。不思議と「手」という文字、言葉に深い意味を感じます。絵手紙・手描き・上手・下手・手間など、そして動詞に手を付けた書き手・読み手・聞き手・乗り手・踊り手などは人の働きを指しています。
機械がする仕事に比べ、手でする仕事は心の仕事だと言えます。手を使って描く絵手紙こそ「こころ伝える絵手紙」です。 |
| <最終話 古いことでも大切なことがある> | ![]() |
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特別に暑い夏を過ごし、ようやく秋になりました。暑さに弱い私ですので、体力はダメージを受けましたが、脳の働きはまあまあ健康に過ごすことができたようです。この時期、いちばん感じたことは、「世代交代」ということでした。大正生れや私のような昭和一桁生れが、社会の表舞台から少なくなりました。 戦争を知らない政治家が多くなり、憲法改悪の風が吹いてきました。これからの世の中はどうなっていくのか心配もありますが、戦後大きく変ったことは、女性が強くたくましくなったことですから、大丈夫でしょうね。
さて、このところ絵手紙で感じたことは、「はがき」絵手紙の書き方のことです。絵手紙は「はがき」に描くことが多いのですが、私が目指す「心伝える絵手紙」の中味は、「はがき」の裏面に描く絵・絵に添えた言葉(文章)・そして表面の通信文の三箇所を総合した三位一体の表現を求めています。「はがき」の表も大事な要素です。
第一は、受取人の郵便番号・住所・氏名をはっきり記入すること。 |
| 地球・絵手紙絵ネット協会会報 「絵てがみの心」より抜粋(無断転載を禁じます) |
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